ホーム > 個人の方へ > 丸の内331 > 未曽有の「流動的で不確定な社会」を生きていく。

丸の内331

蔵王 zaou

社会学の視点から考察した若者のキャリアや生き方(前編)

未曽有の「流動的で不確定な社会」を生きていく。

現代社会は、社会学的に言えば後期近代(ポストモダン)と称される時代である。
社会学者のA.ギデンズは、“ 後期近代は社会構造が激変し、価値規範も流動化するなど社会全体のあり方が不透明になっているがゆえに、どのような人生設計をしても、ことあるごとにプランの見直しをせざるを得ないような個人のあり方が求められている ”として、それを『再帰的自己』と名づけた。また、ドイツの社会学者・U.ベックは、かくも不確実性に溢れた後期近代社会を『リスク社会』と呼んでいる。このリスク社会を生きるということは、肯定的にせよ否定的にせよ、「行為の開かれた可能性に対して計算的な態度を持って生きる」ということである。

近代以前に生きた人々と異なり、もはや我々は、自分自身の未来を単に来るべき出来事の予期として捉えることはできなくなっている。
ギデンズの言葉を借りれば、“ 未来とは、知識が、知識自身が形成された環境へと持続的に還流されるという意味で、現在において再帰的に組織される ”ものになっている。
この言い方は少々難しいが、つまりはこうだ。かつての近代社会においては、未来とはまさに「おのずとやってくるもの」であり、それが変わるということを、ことさら考える必要などなかった。端的に言えば、学校の先生や親の言う通り、黙って勉強して一流大学に入れば、そのまま一部上場企業に正社員で就職可能で、退職金と年金で老後も安泰だった。

それに対し、我々が住むこの後期近代社会は、新たな情報や知識が次々と登場するに伴って修正され、変化していく。当然、その先にある未来の姿もまた常に変化する。
こうした状況における未来とは、“ ある時点で、それを知ろうとする者が持ち得ている情報や知識に基づく限りでの将来予測 ”である。そしてその予測は、現在においてのみ存在するものであり、それがそのまま既定の未来として確実にやってくるという保証など、どこにもない。
いわば、一定の将来予測をしながら未来に向けて我々が生きていくことは、リスクを孕んだ営みだということになる。我々は、常にリスクを計算しながら、本質的に流動的で不確定な社会を生きていくのである。

(2017年4月 蔵王)

  • 丸の内331 新しいことを始めたくなる春。
  • 丸の内331 社会に出て、凡人で終わる人、突き抜ける人。
  • 丸の内331 きっかけ
このページの先頭へ戻る